仕事のスタイルに関する議論について


「誰のために」「何をしたいのか」

就活シーズンということもあり、
最近、「ノマド」「フリーランス」などのキーワードが多く見られ、
仕事のスタイルに関する話題がソーシャルメディアなどで賑わっています。

自分も普通の会社員ではない道を選んでいるので、
現時点で思ったことなどを書いておこうかと思います。

仕事は多くの場合、誰かのために価値を提供してその対価をいただくものであるので、
時流を把握した上で、「誰のために(時にそれは不特定の大多数である場合もある)」「何をしたいのか」を決めれば自ずと所属するべき組織や仕事のスタイルは決まってくると思います。

もちろん時と共に世界も自分も変わっていくので、
それは変わっていって良い、むしろ変わっていくべきものです。

もし誰かのために生きたくないという人がいるとしたら、
いわゆる「一般社会」では生きて行けないでしょう。
(一般ではない生き方も、例えば「人から奪い続けて生きること」などがありますが…)

変わらない価値観と、変わっていく価値観

「不易流行」の記事でも書きましたが、
人が歴史を重ねていく上で、変わらないものと、変わっていくものがあります。
生活の多様化にあわせて、人それぞれの価値観については特に近年大きく変わっています。

価値観が多様な現代において、
自分の「正しい」が人にも通用するだろうという思い込みはとても危険です。
異なる価値観を持っている人と出会ったとき、

(1)拒絶して、同じ価値観の人とだけ交わる
(2)説得や啓蒙などをして相手の価値観を変えることで共存する
(3)違いを受け入れて、お互いの価値観を変えない形で共存する

(4)自分の価値観を変えることで共存
する

という選択肢があるでしょう。
これらに関しても、どれが正しいという基準は無く、自分で決めるべきことです。
「誰のために」「何をしたいのか」に基づいて考えれば、
自ずとどの選択肢を採るべきかは決まるはずです。

逆に、多様な価値観に流されて、何が正しいのかと見失うこともあるでしょう。
自分を見つめ直せと言われてもうまくできない場合もあります。

そんなときは、人間が古くから培ってきた道徳・文化などに対して、
謙虚に向きあってみることも必要だと思います。

社会全体が幸せになるにはどうしたらいいのか、
そして自分が幸せになるにはどうしたらいいのか、
先人たちは長年それを考えながら生きてきたはずで、必ずヒントがあります。

ジョブズもハマった「禅」のススメ

先人たちの教えを読み解くにはとても時間がかかりますが、
「禅」の教えはとてもシンプルにまとまっていて私は好きです。

数ある禅語の中から、この話題に合ったものを2つ紹介します。

 

「春色無高下 花枝自短長(しゅんしょくにこうげなく かしにおのずからたんちょうあり)」
  …春の色の美しさには上下はないが、
  …花枝はそれぞれ異なっていて、短いものもあれば長いものもある

花ひとつひとつを比べてみるとみな異なっているが、
それぞれが輝かせている「春の色」という本質に違いはない、ということ。

また個人的には、異なる花たちが合わさって「春」という全体として輝いているという事象が、
人と社会を連想させるような気がしています。

違いばかり強調してはいけない、
価値観すらも違っていることは当たり前の現代に合った言葉ではないかと思います。

 

「燕雀安知鴻鵠志(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)」
  …燕や雀のような小さな鳥に、どうして大きな鳥の志が分かるだろうか。

器量の小さな人間には、器量の大きな人間の志が理解できるはずもない、という言葉。

自分が「誰のために」「何をしたいのか」によっては、
価値観の違いを乗り越えて事を成す必要があるかもしれません。

異なる価値観を持った相手に出会って、自分の価値観や志を変えたくない!と思ったときは、
この言葉を心に浮かべることで強さが得られるかもしれません。

ただ、解釈を間違えて傲慢になってしまっては危険です。
自分の中にも変えたくない部分と、変えても良い・変わっていく部分があると思いますが、
変えたくない部分を守りたい時のために、心の内で静かに持っておくべき言葉であると思います。

 

参考図書:


カテゴリー: デザイン, 大きなつぶやき | コメントをどうぞ

新しい技術を学ぶ上で意識したい1つの尺度


変わらないものと、変わるもの

IT業界における知識・情報・技術は、せっかく学んで取り入れても、
数カ月後には古くなり使えなくなっているというようなことがよくあります。

たとえば今流行っている技術を知りたい場合、求人情報などを見ればすぐにわかります。
「Javascript/HTML5のフロントエンドエンジニア募集!」といったような、求められている技術名が並んでいるはずです。
しかし、これらは2〜3年もたてば大きく変わっていることでしょう。求人情報を見て一から勉強して身につけようと思っても、プロレベルで使えるようになる前にその技術が古くなり、新しい技術が流行ってしまっていることもあります。

では、新しい技術が出現したときに、それをいち早く活用できる人はどういう人なのでしょうか?

新しい技術をいち早く使える人って?

みんなが同じスタートラインからヨーイドン!で新しい技術を習得するわけではない、ということは容易に想像できるかと思います。

新しい技術をいち早く習得し活用できる人たちは、
新しい技術にも応用できる「基礎」を身に付けているということになります。

色々な技術に触れてみると、それぞれに共通した「基礎」の存在が見えてきます。
プログラムの文法、デザインにおけるカラースキームの概念・レイアウトの理論など、
時代が変わってもそう簡単に変わらない、人間の認知に関わるような基礎的な部分が存在します。

しかし、「基礎から学ぶ」とよく言われますが、
本当にいきなり基礎だけを学ぶというのは結構難しいものです。
基礎とは色々な実践を経て初めて身につくものである場合がほとんどで、
多くの参考書が挫折を呼ぶ作りになっているのはこの間違いのせいであると思います。

ちなみに弊社のインターンでは、学ぶ過程で「模写」を用いることを基本にしています。
プロが作ったものと同じ物を作ってみるということを繰り返し、
そこに用いられている技術を学び取るという手法です。
これはデザインや工芸など多くの分野で行われてきました。

サンプルを自分の手で作ってみるというアプローチの入門書も増えてきましたが、
これは本当に自分の手で一からサンプルと同じ物を作ってみることをすれば、
有効な学習法になることと思います。

「不易流行」を意識する

技術を学ぶときには、流行を追うことももちろん大事ですが、
「その価値が時間と共にどのように変わっていくのか」
という尺度を意識して学ぶことが、より重要です。それを判断するには、
他の技術や新しい技術にも応用できるかどうかということが一つの基準となります。

古くから用いられている「不易流行」という言葉があり、解釈は諸説ありますが、

…「不易」はいつまでも変化しない本質的なもの
…「流行」は時代に応じて現れる新しいもの

本質的なものを身に付けた上で、流行を取り入れていく、という姿勢は、
変化の激しい現代においてとても重要な考え方と言えます。

一つの技術にも「不易」の部分と「流行」の部分、またその中間のような部分もあり、
他の技術に応用できる「基礎」の部分はどちらかというと「不易」にあたるかと思います。
しかし、意識せずに技術を学んでいると、流行をマネることができただけで、
習得できた!と満足してしまうこともよくあります。

流行によって変わるものは比較的容易にマネでき、人に伝わるのも速いです。
反面、本質的なものは理解するのに時間がかかったり、人に伝えにくかったり、
また流行に惑わされて頻繁に忘れられてしまったり
します。

本質的なものを身につけ、それをウリとして他人との差別化を図ろうとするのであれば、

・「不易」の部分を意識して、日々少しずつでも積み重ねて自分のものにする
・人に伝わりやすいように、流行を取り入れた形でアウトプットする

ということが必要であると思います。

そして、技術への興味から日々少しずつ積み重ね始めたとしても、
それを続けていくにはある程度のモチベーションが必要です。

そのモチベーションを支えるのは、
「こういうものを作りたい」もしくは「誰かのために作りたい」
という想いではないかと思います。

 

この記事の内容は以前の記事「表現をしたい人へ」とも関連していますので、
合わせてお読み頂ければ幸いです。


カテゴリー: エデュケーション, デザイン | タグ: , , | コメントをどうぞ

「あなたのネット先生」について


「あなたのネット先生」とは

私が2010年5月から行なっている、中高年向け・ご近所向けのIT活用教室です。

講師もサービス企画も広告制作もまだ一人でやっています。

マンツーマン指導が基本で、パソコンの買い方から、デジカメ・ビデオの使い方などの趣味的な活用法、ブログ・Twitter・Facebookの使い方、そしてWord・ExcelやPhotoshopの使い方など実践的なことなど、ひとりひとりにあったテーマ・ペースでお教えしています。

なぜ始めたか

高齢化が進む日本。ITの変化に取り残されていく人たちも多いです。

そんな人達に、もっと仕事や趣味、そして買い物などにITを活用していただき、
生活を豊かにしてもらいたいと思ったからです。

この課題は、日本を元気にしていく上でとても重要であると考えます。

もっと身近なところで言うと、
私はWeb業界で働いていますが、それでも日々生まれては消えるWebサービスやIT機器などの情報を追いきれてはいません。

せっかく生活を便利にするとても良いものが生まれていたとしても、
適切な方法を取らなければそこにたどり着くどころかそれを知ることもできません。

また、役所で行う手続きなども次々と電子化し、ネットで行えるようになってきています。
ITを食わず嫌いしてきた人たちにも、生活に深く関わるようになってきたITに触れなくてはならない状況になりつつあります。

子供に教われば良いのでは?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
多くの方が口をそろえて言われるのは
「身内に教わると、ケンカになる」ということです。
やはり、何度も教えても出来ないと、ついイライラしてしまうことが多いようです。

身近に、親切に教えてくれる、ITに詳しい人がいない。
そういう状況が至るところにあります。

そんな中、ITを活用できていない人たちと、よいサービスや商品を作っている人たちの間で、
適切に情報を伝えたり使い方を教えたりする人が必要なのではないかと思い、
ネット先生を始めたわけです。

一般的なパソコン教室との違い

始めるにあたって、周辺のパソコン教室の調査をしました。
(母に行ってもらいまして…)

大きく分けると下記のようなパソコン教室があります。
(1)自治体が行なっているパソコン教室
(2)フランチャイズ展開している大規模なパソコン教室
(3)個人・中小企業が行なっているパソコン教室

ネット先生は(3)にあたり、近辺には競合となる教室はとても少ないです。
(1)・(2)を調べ、◯な点と、×な点を簡単にまとめてみました。

(1)自治体が行なっているパソコン教室
◯料金が安い、自治体報などで情報を入手しやすい
◯地域の方の交流の場にもなる
×教えている方も高齢の方が多く、教わりやすいが、情報が新しくない

(2)フランチャイズ展開している大規模なパソコン教室
◯資格を取るためのカリキュラムがあり、目的次第では効果的
×料金が高い・一括で払う必要がある場合が多い

(共通)
×生徒のレベルがバラバラなので自分のペースでできない
×基礎の基礎や、「かゆいところ」を教えてくれない
×教室のパソコンが自分のパソコンとOSなどが違うなどで、「家に帰るとできない」状況が発生する

ネット先生の生徒さんにも、一般的なパソコン教室に行ってみたことがある方が何人もいらっしゃいますが、同様な感想をよく聴きます。

これらの×をまず全て解決しようと思いました。

・新しい情報をもとに、ひとりひとりに合った内容で
・料金は1回単位で、最初は無料相談の機会を
・自分のペースで
・パソコンの買い方含め、基礎の基礎から
・基本的には自分のPCを用いて指導を行い、「家に帰ってもできるように」を目指す

これらがネット先生の主な特徴です。

さらに、複数の方が集まるイベントなどを企画して、
地域の方の交流の場としての機能も産み出して行きたいと考えています。

その他、参考にしたもの

ちょうどサービス企画をしていた時期に、
NHK Eテレが中高年向けのデジタル活用番組を始めたため、
テキストも合わせて研究をしました。

中高年のためのらくらくデジタル塾 http://www.nhk.or.jp/kurashi/digital/

NHK公式サイトより

生徒役の役者さんもターゲット世代で、
内容は趣味的活用に関わるものが多いです。

とても親切な作りになっていて良い番組なのですが、
ここでも「提示されている画面と自分のパソコンの画面が少しでも違っていると混乱してしまう」という大きな課題があります。

また25分という短い番組のため進度が少し速く、
これだけをみながら一人でデジタル活用をマスターできたという方は少ないのではないかと思います。

どうやって集客しているか

デザインの仕事の傍らで実験的に始めたため、
正直なところ本腰を入れて集客を行っていません。

最初はA5/4Pのパンフレットを作成し、
ポスティング業者に委託して近辺に4000部ほど配布しましたが、
それを見て来ていただいた方は2人ほどでした。

一番効果を発揮しているのは、道に黒板を設置して、
そこに毎日メッセージを書き、A4三つ折りチラシを置いたことです。

あとは、口コミでお知り合いに紹介いただくことも多いです。

やってみて見えてきたこと

当初のコンセプトとしては、主に
パソコンを利用したインターネットを、暮らしに役立ててもらう
ということでした。

「ネット先生」というネーミングもその意味がありました。

しかし蓋を開けてみれば、
「教わりたい内容」の多様さに驚きました。

今のところ最も多かったのはインターネットよりも、「Excelの活用法」です。
確かに、暮らしや仕事、多くの場面でExcelは活躍します。

そして携帯電話に関するご質問も意外にとても多いのです。
ネットやメールよりもっと基礎の基礎、アドレス帳の使い方などで苦労されている方も多いです。

最近では特にスマートフォンの使い方がわからないという方がよく来られます。

スマートフォンは特に、自分にあった活用法を見つけることが出来ればとても便利なものです。

これをひとりひとりに合った教え方ができる人が近くにいれば、
もっとスマホアプリ市場も活発になるのではないでしょうか。

やってみるほど、意義を感じることの多いこのサービス。
もちろん課題も多く見つかっています。

課題、今後の方向性などについては、
また別記事で書きたいと思います。

»あなたのネット先生


カテゴリー: エデュケーション | コメントをどうぞ

表現をしたい人へ


何か作りたいけど、選択肢が多すぎて何をしたらいいか分からない人が多い

「何か作りたいけど、選択肢が多すぎて何をしたらいいか分からない」

最近、大学生と話をする機会が増えたのですが、
このような課題を持っている人がとても多いと感じています。

時間はたっぷりあって、選択肢もたくさんあるのに、何をしたらいいのか分からない。
選択肢をしぼりつつも日々やりたいことが溜まっている私から見れば、
とてももったいないことです。

しかし選択肢が多くなると選べなくなるというのは自然なことです。

そんな人達のために、思ったことを少しまとめていきたいと思います。

表現をするために必要なこと

表現をするために必要なことは、以下の3点だと思います。

(1)目的
(2)技術
(3)表現をする場

しかしインターネットさえあればYouTubeやUstreamが無料で使えて、良いものはソーシャルストリームに乗って世界中に広まっていく現代において、「表現をする場」は誰にでももたらされていると言えます。

デジタル作品ならばそのままネットで披露することができますし、
アナログ作品ならばネットを使って周知することができ、展示会へと導くことは過去に比べてとても敷居が下がりました。

そのため、今重要なのは残りの2つ、「目的」と「技術」です。

目的が無ければ作るためのモチベーションが保てません。
表現する目的は、誰かや自分、あるいは国や世界、組織などが持っている「課題」を解決することであるべきです。
それがはっきりしてさえいれば、「自分の想いを誰かに伝えたい」でも良いのです。

技術が無ければ、思い描き、落し込み、具現化するということができません。
手先の技術だけではなく、プロデュース・ディレクションという仕事があるように、思い描き・落し込むというところのスキルもとても重要です。

興味のある技術を使ってみる

表現をするための技術は無数にあります。
デジタルからアナログまで様々です。

たとえば「Webデザイン」と一言で言っても、そこに含まれる技術もまたたくさんあります。

まずは、技術に興味を持つことです。

ここでつまづく人は、残念ながら今の時点では表現は諦めたほうがいいかもしれません。

不恰好でもいいので何かオリジナリティを加えて作ってみる

興味を持った技術を使って、何か作ってみましょう。

チュートリアルや、先生に教わりながら基礎を身につけたあと、
なにかオリジナリティを加えて自分の作品を作ってみることです。

それを人に見せてみるのが望ましいですが、
最初は恥ずかしいと思うので、満足いくものが作れるまではコソコソ作っていても結構です。

自分一人で作品をカタチにするところまでひと通りやってみるのがベストですが、
どうしても一人ではできないときは、少数でも良いので近くの仲間を巻き込んでみましょう。
「作るものが決まっていないけどまずは人集め」
という発想に向かってしまうこともありがちですが、
「これを作りたいけどどうしても自分一人ではできないので、こういう人が必要だ」
という考えに至ってから初めて人を巻き込むべきです。
もちろん、いざその時のために日々様々な技術を持つ人達と交流しておくことは重要です。

誰かのために作ってみる(自分のためにでも可)

何かを作れるようになったら、誰かのために作ってみます。
それが自分のためでも良いです。

世の中に出ている商品やサービスも、
もともとは自分や近しい人達の願いを叶えるために作られたというものが多いのです。

人に見せたいと思えるレベルまで作れるようになった人は、
進んで誰かのために作ってあげるのが良いでしょう。
まだ人に見せるのは恥ずかしい、という人は、自分のために作ることを考えてみましょう。

「誰かのため」は、
具体的な生活に役立つとか、何かが便利になるとかではなくてももちろん構いません。
表現は、心を癒す・刺激を与える・感動を与えるなど、
様々なメリットをもたらすことができるはずです。

これはつまり前述した「目的」です。
誰かのために、というのは表現する上でのモチベーションを高める最大の要因となると思います。

たとえばこれが「コンテストのために」「イベントに出すために」「卒業・単位のために」となると、とたんにモチベーションが下がってしまう人も多いのではないでしょうか。
これらは、避けようと思えば避けられる課題です。

表現によって解決する課題は、根本的で不可避なものであるほど、表現するモチベーションにつながるのではないかと思います。

「誰かのために」を突き詰めていくと、それが仕事になる

誰かのために何かを作ってあげることを繰り返し、
そのクォリティとスピードをあげていくと、
お金を払ってでも作ってもらいたいという人が出てきます。

そこからは、プロとして仕事をすることができるようになります。

このように見ていくと、
プロとして表現するようになるためのきっかけは、
「技術への興味」から始まっているような気がします。

技術に対して強い興味を持ち、深く掘り下げて理解し、身につけ、
そして不恰好でも良いから作品を残していくこと。

表現をしたい人、始めたばかりの人には、
これがとても重要であると思います。


カテゴリー: デザイン | タグ: , | 1件のコメント

デッサン始めました


デッサンとは?

デザイナーたるもの、デッサンができねば!

と思いたちまして、鉛筆セットとクロッキー帳を久々に手にしたわけです。
小学生以来…ですね。

そもそもデッサンとはなんでしょうか。

「デッサン」はもともとフランス語で、絵の具で塗って描く絵画に対して、
鉛筆・木炭・ペン・パステルなどを用いて主にモノトーンで描いた絵画のことを言うようです。

日本語では、「素描」と言います。

デッサンをする目的はいろいろありますが、
私はモノの実在感を捉えて表現する手段として用いたいと思います。

デッサンに必要なもの

最低限デッサンに必要なものは鉛筆と消しゴムと紙です。
それ以外にもあると便利なものがいくつかあるようです。

練りゴム

消しゴムとは違って、カスがでなかったり、完全に消さずに薄く消したりと色々な使い方があります。一方、消しゴムは主に、角を尖らせてシャープな線で消したりするときなどに使用します。

練りゴムは「イージークリーナー 」が有名なようです。

フィキサチーフ

鉛筆で書いた絵は、紙の上に粉として乗っているだけなので、こすると取れてしまうことを防ぐために定着させるのがフィキサチーフというスプレーです。

Webデザイナーも絵を描く

PhotoshopやIllustratorを使ってWebページをデザインするWebデザイナーも、そのレイアウトを決めるためのワイヤーフレームの作成、そしてさらに前段階では、手描きでレイアウトやビジュアルのたたき台を描く場合があります。

とくに、クライアントとの打ち合わせの際に手描きで説明することが多いです。
そんなとき、なるべくうまく描きたいなあといつも思っていました。。

以前はボールペンを使っていましたが、消しゴムで消せるのでシャープペンを使うようになり、最近は色々な太さで描けたり陰影が描けたりするので鉛筆も使うようになりました。
鉛筆、久しぶりに使ってみると結構便利なものです。

というわけで、鉛筆デッサンを勉強してみます!
これからいろいろ描いてアップしていこうと思います。

とりあえず、目の前にあった自転車のライトを…


カテゴリー: デッサン | タグ: , , | コメントをどうぞ

産業交流展2011に出展してきました


産業交流展とは?

私が代表をしている株式会社フレアワークスは、
10/26(水)〜28(金)に東京ビッグサイトで開催された産業交流展2011に出展してきました。
産業交流展とは、公式サイトによるとこのようなイベント↓

ー 開催趣旨 ー

産業交流展は、原則として、首都圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)に事業所を有する個性あふれる中小企業などの優れた技術や製品を一堂に展示し、販路拡大、企業間連携の実現、情報収集・交換などのビジネスチャンスを提供することを目的としています。

(産業交流展2011公式サイトより)

つまり中小企業や団体がたーくさん集まって交流したり商談したりする場です。

産業交流展2011では784の企業・団体が出展したようで、
来場者数は3日間合計で52,402人でした。

どんな業種・規模の企業が出展するの?

出展できるのは、原則として以下の条件を満たす中小企業者・事業協同組合・企業組合・その他の団体など。

(1)首都圏(東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県)に事業所を有する企業等。

(2)下記4つの分野にいずれか該当していること

・情報
・環境
・金属、機械
・医療、福祉

(3)下記中小企業者の定義を満たしていること

製造業、建設業、運輸業その他の業種(以下の業種を除く) 資本金3億円以下又は従業員300人以下
卸売業 資本金1億円以下又は従業員100人以下
サービス業 資本金5000万円以下又は従業員100人以下
小売業 資本金5000万円以下又は従業員50人以下
ゴム製品製造業(自動車又は航空機用タイヤ及びチューブ製造業並びに工業用ベルト製造業を除く) 資本金3億円以下又は従業員900人以下
ソフトウェア業又は情報処理サービス業 資本金3億円以下又は従業員300人以下

フレアワークスは「情報」の分野で出展しました。

出展するのにいくらかかる?

企業ブースは「小間」という単位で区切られていて、1小間あたり52,500円かかります。

そこに、机などをレンタルしたり装飾品を使ったり、パンフレットやポスターなどを印刷したりする費用、そして人件費などが乗ってきます。

弊社の場合は、

小間出展料・・・52,500円
ポスター(A1を3枚)・チラシ印刷(3,000部)・・・約20,000円
展示台レンタル×2・・・約20,000円
商談用机&椅子購入・・・約5,000円
その他テープなど消耗品・・・約5,000円
アルバイト代・・・約20,000円

トータルで13万円弱でした。

なぜ出展できたか?

中小企業のイベントとはいえ弊社のようなほとんどフリーランスのような会社が出展することはほとんどないでしょう。それなりの出費ですし、準備や出展期間で時間もかなり費やす必要があります。

今回出展できたのは、港区の補助をいただいたからです。

出展費用の52,500円+パンフレット印刷代など50,000円を上限に補助をいただけるということでしたので、いつかは大々的にアピールする日が来る!いまのうちに経験しておこう!ということで、出展してみることにしました。
つまり自己負担は3万円弱、で済みました。

港区に限らず、墨田区・台東区・中野区やその他多くの地域でも支援企業が出展していたようで、それぞれの区独自の装飾が施されたエリアが並んでいました。
しかし港区のデザインがダントツにカッコイイ…

効果は?

客層としては「デザイナーを探しに来ている」という方は少ないだろうと思っていましたが、その点は予想通りで、待っていてもあまりドンピシャなクライアント候補は訪れませんでした。

それよりも、こちらから他の企業のブースを訪れてお話を聞きつつ、こちらの紹介もするというパターンを多く試みたところ、パートナー候補の企業様とたくさん出会うことができました。

名刺交換数としては50程度、クライアント候補としては7社、パートナー候補としては十数社といった結果でした。

まとめ

出展企業として参加した最大のメリットは、世の中には本当にたくさんの中小企業があって、それぞれがとてもユニークな技術をウリにしていて、そんな無数の企業の力が日本を支えているんだなあというのを肌で感じることができ、そしてその中の一つとしてフレアワークスもユニークで在り続けねば、というエネルギーを得られたことです。

ビジターとして参加したとしたら、この感覚は得られなかったと思います。

また、各社のウリのアピールの仕方もとても参考になりました。
正直フレアワークスは、こういった場でアピールするほどの派手なウリはまだありませんが、いつかその時が来たときのためにとても良い武器を得られたと思います。


カテゴリー: イベント | タグ: , | コメントをどうぞ

「図と地」に関連する緒論から、余白の重要性を考える


「余白が重要」ってどういう意味?

デザイン初心者にとっては、文字の装飾や写真の加工など「通常、注意が向く部分」に気を取られて、「余白の重要性」はなかなかピンとこないことが多いかと思います。

この記事では、古来から言われている「図(通常注意が向くところ)」と「地(通常注意が向かない背景的なところ)」の概念に関連する緒論を軽くまとめています。

余白の重要性について気づくキッカケとしていただければと思います。

「図」と「地」

人は何かを見るとき、
「全体」を見ず、ある一部分に注意を向けています。

その注意を向けている部分を「図」それ以外の背景的部分を「地」と言い、
それらは「図」の「輪郭」によって分断されています。

しかしひとたび「地」の部分に注意を向けると、
それが「図」として認識され、いままで「図」だったものが「地」になります。
全く別のもののように見えますが、それらは同じ「輪郭」で分断されていて、合わさることで「全体」を形成しています。

この概念は有名な「ルビンの壷」を描いたルビンによって定義されましたが、
同様な概念はデザイン以外にも様々な領域で古くから用いられてきています。

人は「まとまり」を捉える・・・ゲシュタルト心理学

人は一定の規則を持ってまとまっているものを見るとき、
それを個々の要素として捉えずに「まとまり」として捉えます

たとえば人文字を見ているとき、それを文字として捉えるが、構成する人間一人ひとりの特徴には注意が向きません。
ある規則の中でならんでいる音譜はメロディとして認識し、絶対音感でければ一つの音の高さに注意が向きません。

そのまとまりが「図」となれば、「輪郭」を感じ、その外側には「地」が生まれます。
「図」と「地」の理論はしばしばゲシュタルト心理学の一部として扱われます。

「色即是空」「空即是色」

般若心経に出てくる言葉で、
注意を向けている部分が「色」、それ以外を「空」と捉えることで、
「図」と「地」の概念に近いものとして解釈することができます。

どちらを意識するかによってその関係性は自在に変わり、
「色はすなわち空」「空はすなわち色」と言うことができる、ということです。

この言葉はシンプルであるが故に、多様な解釈の仕方があります。
大きな誤解をしている!などと批判し合っている方々もいます。

しかしそもそも般若心経は、多視点的な捉え方をしなければならないということを意図しているようにも思えます。

私としては、一つ見落とされがちな要素を加えてこの言葉を解釈したいと思います。
それは「色」が移ろいやすいものであるということ。

その「輪郭」は変わらずとも、植物や生き物の「色(特徴・性格・健康状態…)」はとても移ろいやすいものです。
花の色、木々の葉の色などはしばしばその移ろいやすさを先人達に詠まれています。
時によって変わり、また周りの状況「空」によって変わっていきます。

「色」が移ろいやすいものであればすなわち「空」もまた同様。
そしてどちらかが変われば他方の捉えられ方も変わります。

注意をどちらに向けるかによって捉え方も変わり、
時が経つにつれてそれら自身も変化するし、
さらに周りが変化することで捉えられ方も変化する。

「色即是空」「空即是色」は、このような意味を含んでいると言えると思います。

まとめ:余白の重要性

ゲシュタルト心理学と般若心経。

これらを踏まえてデザインにおける「要素」と「余白」を考えてみると、デザインを始めたばかりでは「要素」だけに注意が行きがちですが「余白」も同レベルで重要であることが言えます。
(「要素」という言葉を使うべきではないかもしれません。ここでは文字やイラスト・画像など、通常「図」として意識されるもののことを意味します。)

余白が変化することで、要素が全く別の捉えられ方をすることもあります。
さらに、要素の配置によっては、それらが「まとまり」として意識され、「図」の「輪郭」も変化します。
視覚的デザインにおいて、それは線で明確に囲われたものでないことも多いでしょう。

個々の要素のデザインも勿論重要ですが、
それらを「まとまり」として扱うレイアウトを駆使し、
余白を含めた全体を意識してデザインすることが重要です。

デザインの3要素と言われる「配置」「形」「色」
これらについて、「図」のみならず「地」を含めた全体において考えるべきあることは自ずと理解できることと思います。

デザインに行き詰まったら、一旦PCの画面から1mほど頭を遠ざけ、視点を「地」に移してみるとヒントが見つかるかもしれません。

ひとまず今回は概論にて。
具体的な話もまた書ければいいなと思っています。


カテゴリー: デザイン, メディア論, 認知心理学 | コメントをどうぞ

文系女子に、原発がなぜヤバいかを説明してみた


文系女子に、原発が今どうなっていてなぜ危険なのかを、ごくごく簡単に説明してみました。

テレビなどでくり返しくり返し報道されていますが、まだ一体なにがどうなっていてなぜ危ないのかピンと来ていない方も多いかと思い、参考までに、会話内容を掲載してみます。
会話調のほうが分かりやすいかと思いますので、スカイプでのチャットの会話をほとんどそのまま載せています。

私も専門家ではないので、もし間違っているところなどがあればご指摘下さい。
また、この記事の目的は、事実を理解することで、「よくわからない事態」に対する不安を少しでも軽減させることです。
現在、東電社員・自衛隊・消防庁・米軍など多数の方々の努力により、原子炉への注水作業が行われています。事態が良い方向へ向かっていくことを祈ります。

文系女子の口調のぶっきらぼうさは気にしないで下さい…。

以下、
文系女子「」
私『』

 

「原子力発電所のシステムを文系にも分かるように説明してほしいわw」

 

『システム・・・』

『なにがわかりにくいんだい』

 

「さすがにテレビで何百回も説明されて」

「なんとなーーーーーーーーーく理解はしてきたんだけど」

「大元が分かってないせいで」

「結局、どう安全でどう危険なのかもわからん」


『ふーむ』

『たとえば第一原発の1〜4号機それぞれ、やばい原因がちがうんだがね』

 

「ほほう」

「違うのか」

「初めて知ったw」


『まあでも基本的にほとんどは』

『原子炉がとまって』

『完全に安全な状態にもどすには』

『核燃料を冷やさないといけないんだけど』

 

「うむ」

「なんか、」

「水で冷やせばいいのね、までは分かっている」

 

『うん』

『ほんとは』

『水を循環させて冷却させる冷却装置が動くはずなんだが』

『津波でいろいろ破壊されてそれが動かず』

『循環しないと』

『水は核燃料の熱でめっちゃ蒸発するだろ』

 

「うん」

「っつか」

「燃料の温度が」

「ただごとではないよな」

「2000度とか」

 

『うん2000℃以上』

『そうそう』

『水なんて100℃で沸騰しちゃうから』

 

「文系に言わせてもらえば」

「100度以上のものって何!?状態である」

 

『wwwwww』

『モノにはすべて』

『融点と沸点というのがあってな』

 

「うむ」

 

『融点というのは液体になる溶ける温度だ』

『沸点は気体になる、沸騰して蒸発する温度』

 

「ふむ」

 

『【問】1気圧(ふつうの状態)における水の融点は何度?』

 

「0度か」

 

『正解だ』

『沸点は?』

 

「100」

 

『うむ』

『では鉄の場合はどうか』

 

「違うのか」

 

『ふつうの状態でたとえば気温20℃とするじゃん』

 

「うん」

 

『鉄って固体だろ』

『溶けてないだろ』

 

「うん」

 

『鉄が液体になるのは』

『何度くらいだとおもう』

『調べてもいいぜ』

 

「200くらい?」

 

『www』

 

「あ、カンでいってしまったw」

 

『もっと高いw』

 

「1535か」(Wikiで調べたらしい)

 

『YES』

 

「今知ったが、」

「鉄も、沸騰というか」

「気体になるのな・・・」

 

『気体になるぜ』

『2750 ℃』

 

「うむ・・・」

「気体になるのは水だけだと思っていたw」

 

『なんでもなるんだぜ・・・』

 

「鉄は、ぐにゃっとして終わりだとおもっていた」

 

『そして』

『窒素ってあるだろ』

 

「ある」

「ね」

 

『空気に一杯ふくまれてるやつだ』

『そいつもふつうだともちろん気体だが』

 

「ふむ」

 

『めっちゃひやせば液体にもなるし』

『固体にもなる』

 

「ほほううううううう」

 

『もちろん酸素もだ』

 

「酸素が固体・・・」

 

『−182.96℃以下で液体に』

『−218.4℃以下で固体に』

 

「!!!!!!!」

 

『そんで』

『全てのモノが凍るといわれているのが』

『絶対零度』

 

「うん」

「あるね」

 

『-273.15℃』

 

「・・・」

「今まで」

「0度だとおもっていましたすみません」

 

『wwwwww』

『北海道で全部凍ってしまうわw』

 

「バナナ凍るじゃん!!!」

 

『うん水は凍るけどね』

『酸素は凍りません』

 

「ほほう・・・・」

「時々ロシアのひととか」

「吐いた息が凍ってないか」

「あ、」

「それは二酸化炭素か」

 

『それは』

『水だ』

 

「水か!」

 

『吐いた息に水蒸気はいってるだろ』

『二酸化炭素は』

『−56.6℃で液体に』

『あ、わりと高いな』

 

「高いね」

 

『炭酸ガスボンベとかあるだろ』

 

「あるね」

 

『あれ要は液体化した二酸化炭素はいってんねん』

 

「ほおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

『単に気体をいれただけだと』

『容量ちょっとしかないやん』

『液体にすると』

『体積がものっすごく減る』

 

「へえ」

 

『水も』

『水蒸気になると』

『体積が1700倍になる』

 

「なんと」

 

『まあそれで話を原子炉にもどすとだな』

『2000℃の核燃料がある』

『水は100℃で蒸発して』

『体積めっちゃふえる』

 

「うむ」

 

『炉内の圧力めっちゃあがる』

 

「ほほう」

 

『ふさいでたら爆発するやん』

 

「うん」

 

『それで、まず弁をあけて、炉内の空気を逃がそうとしたじゃん』

『放射能ふくまれてるけどもな』

『爆発するよりましだと』

『んで空気にがしてたら』

『まあ水は減っていくよね』

『蒸発していく』

 

「そうね」

 

『そしたら燃料棒のあたまでてくるじゃん』

『空気中に』

 

「出てきたね」

 

『ひやせなくなって』

『燃料溶ける』

 

「ふむ」

 

『これが炉心溶融』

 

「!」

「ほう」

 

『それがなにがやばいかというと』

 

「うん」

 

『そのまま水へっていくじゃん』

『燃料棒とけるじゃん』

『2000℃じゃん』

 

「うん」

 

『原子炉って鉄とか金属でできてるじゃん』

 

「!」

 

『とけるじゃん』

 

「炉がとけるのか」

 

『んで下の方を溶かして溶かして』

『どこまでも落ちていき』

『地下水とかにあたる』

 

「あ、もう大地にいってしまうのか」

 

『うん』

『地下水めっちゃ蒸発する』

 

「うん」

 

『( ゚д゚)ドカーン!!』

 

「!!!」

「オワタ」

 

『放射能めっちゃ含んだ水蒸気爆発』

『地下水が海にも流れて』

『周辺オワタ』

 

「うへえ」

 

『福島だったら、海流に乗ってハワイやアメリカにまで』

『太平洋がオワタになる』

 

「そこまできたら」

「世界終了だな」

 

『溶けた後のシナリオは色々考えられていてこれはひとつのパターンだが』

『そういう感じである』

『わかったかな』

 

「おう」

「分かったぜ」

 

『だから必死で水をいれようとしてんねん』

 

「ほほう」

「多分」

「分かってない人多かったとおもうぜw」

「原理が分からないが「とても危ないもの」として認識しているから」

「不安がってるひと多いようなきがする」

「ありがとう、理解したぜ」

 

『うむよかったぜ』

 

「知っているのと知らないのとではだいぶ違うからな」

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * 


カテゴリー: 時事 | 2件のコメント

東北地方太平洋沖地震後の各メディアに対する個人的見解


まずは、東北地方太平洋沖地震で被害に遭われた方々に哀悼の意を。

そして今も助けを求めていらっしゃる方々は一人でも多くの方が助かり、一日も早い復興が成されることを祈ります。

 

私は地震の瞬間、自宅の1Fで仕事をしていました。
次第に強くなる長い揺れに、
机の前の本棚を押さえるか、それとも机の下に隠れるか、外へ逃げるか迷いましたが、本棚を押さえてなんとかしのぎました。

私の部屋では積んであったCDなどが崩れ、目覚まし時計が落下して壊れただけの被害で済みました。

そしてテレビをつけてみると、震源が宮城沖であったことがわかり、
即座に大津波警報が発令されていました。

こういうとき私は迷わずNHKをつけます。

そして両親へ連絡を試みましたが通じず、ひとまずメールを送ってから、
しばらくテレビを流しつつ、ツイッターのタイムラインを見ていました。

ツイッターにおける人々の振る舞い

日頃使っている人には分かりきっていることかと思いますが、
ツイッターで行えることは、大きく分けて下記の4種類があります。

(1)ツイートする

140字以内でつぶやく。リンクを貼ることも可能。

(2)公式リツイートする

他のひとのツイートをそのまま引用する。
「こういうことを言ってる人がいるよ」ということを自分のフォロワーに知らせることができる。

(3)非公式リツイートする

他のひとのツイートを引用して、自分のコメントを追加した新たな文章としてツイートする。
引用されたことが、された人に伝わりやすい。返信としても用いられる。
ただし140字におさめるために元のツイートの文章を削る場合があるなど、改変されて伝わる場合があり、問題が起こることも多数。

(4)返信する

他のひとのツイートに対して、返信としてのツイートをする。

 

地震直後にとても多く行われていたのは、非公式リツイートでした。
他のひとのツイートを引用して、「みんなも拡散して!」などのコメントがつけられたツイートが目立ちました。

ここ数日で一番多く使われた言葉ではないでしょうか、「拡散」。

これはつまり、「その情報を、それぞれのフォロワーさんに広めて!」ということなのですが、
その場合、(2)公式リツイートや(3)非公式リツイートが用いられることが一般的で簡単です。

もちろん(1)、普通のツイートでも広めることはできるのですが、
ソース(情報元)のリンクを貼らないと、「ソースは?」と聞かれたり、
信憑性が低いとして無視されることが多いです。

ところが、地震後の混乱の中では、
一個人がツイートした内容でさえも、その信憑性を確かめることなく「拡散」されている状況も目立ちました。

間違った情報、古くなった情報などがとめどなく拡散されていき、混乱が生じました

非公式リツイートは、一度誰かに引用されてしまったら取り消しができませんし、
改変されて伝わっていく可能性もある、リスクの高い拡散方法です。

そのため、翌日には「公式リツイートをしよう」という流れになっていきました。

 

公式リツイートは、非公式リツイートに比べてとても簡単です。取り消しもききます。

そのためか、今度は公式リツイートがタイムラインに溢れるようになりました
それこそ玉石混淆、どれが本当なのかさらに分かりづらくなりました。

 

そんな状況を見て来て、個人的な思いをひとつ。
こんな時だからこそ、リツイートは辞めて、自分の言葉で発信してみてはいかがでしょう?

公式リツイートだからこそ許されていたことがありますが、自分の言葉にはある程度の責任を伴います。だからこそもっと慎重に、意味のあるツイートが出てくると思います。

入ってきた情報を受けて、自分が感じたこと、本当に価値があると思った情報、本当に伝えたいこと、そういったものを自分の中で一度噛み砕いて、自分の言葉として発信してみてはいかがでしょうか。

テレビ各局について

私はほとんどNHKをつけていました。

NHKの特徴としては、「煽るような報道が少ない」「アナウンサーがとても落ち着いた口調」「情報が整理されている」といったところでしょうか。

好みはあると思います。
民放のほうが情報が速いという場合もあります。
NHKが意図的に出さない情報というのもあるのでしょう。
(個人的にひとつ気になったのは、NHKは福島第一原発の一号機が水素爆発したあと、その瞬間の映像をなかなか出さなかったことです。不安を煽るということで出さなかったのでしょうか…)

災害のたびに思うのですが、一番違和感を感じるのは死亡者数などのカウントが各局でかなり異なることです。
まさかこれで情報の速さを競っているわけではないと信じたいですが、そのようにも見えます。選挙の際の当選数と同じような扱いをされているのはどうかと思います。このような情報は公式に整理されてほしいものですが、これには異論もあることでしょう。

 

緊急地震速報が入れば真っ先にわかりますし、
私はずっとテレビはつけていました。

ただ、ずっと見続けているととても沈んだ気分になってしまうのも事実。
それで気を病んでしまっている人も多いようです。

テレビを見ていると心が疲れてしまう
けれど、テレビつけていないと気になってしまう
テレビのないところへ外出しようにも、余震など続いていて何かあったときのために離れられない

このようなジレンマに陥っている人も少なくないのではないでしょうか。
私もそうだったので、今は近場のカフェに出てこの文章を書いています。

一度、勇気を出して情報を断ち切ってみるのが良いかと思います。

mixiについて

ツイッターもmixiも、災害時にも安定した運営を続けていました。
私も、姉(ツイッターは使っていない)との連絡はmixiを通じて行っていました。

連絡手段としての役割にくわえて、mixiニュースはある程度信憑性のあるニュースを流してくれました。

もともとツイッターに比べればリアルタイムコミュニケーションに使用する人は少ないメディアではありますが、混乱も少なく、メッセージや日記を使って安否確認ができる有効なツールであったと言えると思います。

まとめ:ITの必要性

私はパソコン教室を通じて、特に中高年の方々のITリテラシーを高める活動をしていますが、今回の災害を通じてIT、特にソーシャルメディアの有効性を強く感じました。

特に最大の問題は、電話が非常に通じにくく、都内ですら安否確認がしづらかったこと。

そんな中、安定したコミュニケーションツールとしてのツイッターやmixiがあり、
そしてテレビが無い人のためにUstreamやYoutubeではテレビの映像がストリーミングされました。

Googleなど各社によって災害対策用のメディアが立ち上げられました。

募金など、被災地への応援のためのサービスも短期間のうちに次々と立ち上げられました。

これらを災害時に使いこなし、かつ溢れる情報に翻弄されないようにするためには、
日頃からITリテラシーを高めておく必要があります。

特に、普段ITにまったく触れていない人たちに対して、いかにリテラシーを高める働きかけをしていくか。
この災害を機に、さらに深く考えていこうと思っています。

考えがまとまり始めたら、またこのブログにも書いていきます。


カテゴリー: メディアデザイン, メディア論 | タグ: , , , , | コメントをどうぞ

「デザイナー」が持っている仕事観


真剣にお客さんのことを考える

ちょっとツイッターでいい話ができたので共有。

デザイナーって(余計な)文句言わないよなー
真剣に仕事をしている人はみんなそうか

と言っている人がいました。

良いデザイナーは真剣に仕事をしている。
この「真剣に」というのは、真剣にお客さん(最終的に自分の仕事でメリットを受ける人)のことを考えている、ということであると思います。

全ての仕事は、最終的に人に行き着く。
だから、仕事をする全ての人は、そのお客さんのことを真剣に考えて仕事をするべきです。

お客さんの願いをカタチにするということをデザインと定義するならば、
仕事をする人は誰でもデザイナーであるべきなのだと思います。

社内にもお客さんはいる

ただここで大事なのは、お客さんというのは社外だけでなく社内にもいるということ。
上司や部下も、自分にとっては大切な仕事の相手です。

そして経営者にとっては、その組織に属する人達みんなの願いをカタチにするという仕事があります。
もちろん全ての願いはカタチにできないので、優先順位をつけるでしょう。

お客さんのことを考える、という視点で仕事をするということは、
経営者を含めた社内の人々のことも考えて仕事をすることでもあると思います。

「自分」を理解した上で、仕事を選ぶ

お客さんのことを考えて仕事をするといっても、
全部言いなりになってやったらいいの?どこで線引きをしたらいいの?という疑問が当然起こることでしょう。

大事なのは、自分の力量や性格、人生の長期・短期目標などを把握した上で、
そのお客さんの願いをカタチにするために、今自分ができること・したいこと
を考えることだと思います。

その結論が「今は自分がやるべきではない」ということになることも、私は少なからずありました。
もちろん自分のキャパシティを超える仕事をしていかなければ人は成長しませんが、それを大きく超えることや全く自分の性格に合わないことをしていればストレスに負けてしまうこともありますし、結果的にお客さんに迷惑がかかります。

自分が何をできるのか、何をしたいのか。

常に変化していくものではありますが、常に把握していなければ、一体何にストレスを感じているのか分からないまま潰れてしまうでしょう。
おそらくデザイナーは意識せずともやっていることですが、まずは1ヶ月に一度、できれば1週間に一度は、自分を見つめ直す機会を持ってみてはいかがでしょう。

具体的にどう自分を見つめ直すか、また別の記事で書くことにします。


カテゴリー: デザイン, ビジネス | コメントをどうぞ